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私のところは父方も母方もおじいちゃんおばあちゃんが長生きで、たしか今、どちらも83と80。がんの家系でもない。母方のおばあちゃんはまだスナックで働いている。

ここ1ヶ月で急に母方のおじいちゃん、じじと呼んでいるからじじと書くね。の、体調が極めて悪化している。正月会ったときは普通だったし特に耳悪い足悪いとかもなにもない。1ヶ月前、転んで背骨?を骨折し病院に行くと、なんかの(肺気腫とかに名前近い感じだった気がする)腫が見つかり、それはそんなに重傷ではないんだけど、さらに心筋梗塞になり、カテーテル?手術?をして、さらにさらにこないだから肺炎になっている。

なんでこんなに説明下手かというと、お母さんがかなり気を遣っているのか、私に病状細かく話してこないから。あまり言いたがらない。今日肺炎のことと、まあ要するに、結構ヤバいらしいということを教えてもらった。ここから急激に悪化するかもだし、退院するかもだし。酸素マスクをつけているらしい。危篤、ではない。

お母さんが毎週末、おばあちゃんとおば(ばば、りっちゃん、と呼んでいるのでそう書く)と一緒にお見舞いというか経過報告を受けに行っていて、それに加えて今後のことについて3人で話したりしている。毎週毎週なので、つらいと思う。でもお母さんは私にはあまり話そうとしない。普通に家から出て普通に帰ってくる。たまに今日みたいに2人で夕飯を食べていると淡々と一気に話してくる。

酸素マスクをつけている姿が、かなりショックだったらしい。肺炎でうまく呼吸しにくいからというだけだけど、ビジュアルとして衝撃的なのは想像つく。1月会ったばかりなのに、急に来るんだなあって。とここらへんも淡々と話してくる。私のこの文章の温度はお母さんの淡々さに通じている。私は泣きそうだったが、私が泣くのはなさすぎると思って必死にどうでもいいディティールを質問して冷静さを胸に刻み込んだ。いつか来るものだから、どうしようもないこと、飲み込むしかない、という内容を何度かお母さんは言っていた。ヤブ医者なのかも(笑)とも言っていた。りっちゃんやばばのことを心配していた。なにか声をかけたかったが、お母さんを泣かせたくないという気持ちで、「ママも大変だね」と、つとめて冷静に、客観視した事実だよ、というていで言った。名古屋で暮らす弟には、入院していることしか伝えていないらしい。

めっちゃ、大変だよなあ。「ママはうちもあるし、習い事のお友達もいるから(大丈夫)」と言っていて、習い事のお友達、私のお母さんをありがとうと思った。

あー多分、じじが死ぬときより今たくさん言葉が出てくる。死それ自体より、お母さんの苦しみ、じわじわと迫る死に直面しているじじ、の心境を思うことがつらい。酸素マスクをしていると会話がしにくくて、こちらも聞き取りにくいしと、嫌な雰囲気になるらしい。それで、私たち孫にはお見舞いに来てほしくないらしいと。3月末まではコロナのあれで面会禁止だったんだけど、4月から行けるようになったのね、でも嫌だと。兄弟にも来てほしくないらしい。でもそうはいっても、今行かないと本当にギリギリに行っても意味ないのでは、的なことを言ったが、病院の先生にそれを相談したら、本人が嫌だと思うことをするのは今の体調には悪手すぎる、と言われたそうで。でも、と思うけど、酸素マスク姿を見られたくない、と思うじじの気持ちが痛いほどわかる。でも、でもと思う。お母さんには、ショッキングだから見ないほうがいいかもね、と言われた。今週も行くらしいので、手紙と、自分の写真(動画のほうがいいかな?)と、なにか植物でも託そうかな。

はあ。ここ1ヶ月くらい、週末、お母さんがいなくなるたびに、お母さんが車とか夕飯とかそういう場面でちょくちょくじじの詳細を伝えてくるたびに、その瞬間だけピントがそこにあって、でブログにも書こうかなと思ってたんだけどなんか書けんくて。仕事もあるしね。でピントがずれて、というのを繰り返していたが、今日はブログに書いてみた。話をしながら、テレビには川口春奈がうつっていて、若さ、健康さだ、と思った。「長生きしたいなあ」「長生きしたほうが絶対楽しいからね」と、なぜか自分の意思表明(あの場で言うこととしては間違っていたかも)をして、2階にあがって少し泣けてくる。無言で泣く。昨日、パートナーをなくした女の子の喪失と再生の物語みたいな映画を観たのね映画館で。でも、現実の助けにならない。今日、『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』というちくまプリマーの新刊を買ったのね、取り出してみたけど、ちがうかもと思った。死に対して物語は、私の死(=人生)に対しては勝てるかもしれないけど、誰かの圧倒的な死に対しては何の役にも立たない。そう感じた。

あー家族が結婚のうえに成り立ってるの怠い。