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鬱々とした一日だった。昼から2時間前くらいまで絶望感でいっぱいいっぱいだった。

『さかなのこ』を見に行ったんだけど、話の序盤も序盤でなんの脈絡もなく泣いちゃったり(感動ではない、映画を言い訳にしてつらくて泣いた)、過食しちゃったり、ベッドで発狂しちゃったり、新宿が偽物(ずっとディズニーランドの入り口にいるような、当事者性のなさというか。関係ないけど、旅行ってずっと「ディズニーに馴染めていない」状態みたいで、旅行がイメージ通りの旅行になったことないなあ。ディズニーはアトラクションのおかげで少し入り込める。こういう感じだから恋愛とか夢とか悲劇のヒロインとかができないんだ。)に感じられたり、身体がむずむずしちゃったり。高いけどピル変えよう仕方ない、もうこれはやってられない。

 

最近の理想の自分像は、魂が高潔な孤高である状態。別に人と交流していても良し。とにかく自分の心に対して潔白でピュアでいたい。いや心じゃないな、孤独に対して?かな。孤独から逃げたくないなって思いが強くて、自分は周りに比べて孤独とまじめに向き合っているし向き合うのが上手いほうだとは思うんだけど、食事とインターネット(=時間の使い方)の弛みが下品なんだよなあ…。修行僧みたいな生活はしたくないけど心に修行僧を飼いたい。自分で自分を叩きたい。

本を読んだり映画を見たりしていると、社会、世界の孤独を自分で背負って誠実に問い続ける人たちばっかりで劣等感に苛まれる。かといって別に文豪みたいに命を切り詰める必要はないんだけどさ。彼らは生を人一倍愛すことが仕事なんだし。それをするためには、自分は単純に体力が足りていない気がする、今日も新宿の駅の階段で大量の人人人人のエネルギーがきつくて目をつむってしまった。繊細さだけは増していくのに、それを自分以外に向ける勇気がない。まずは体力。私が先にエネルギーを放てるようになるしかない。それも食事なのかも。具体的な練習方法をもっと考える。こないだ孤独と共存する方法で思いついたのはやっぱり与えることだった。でもそれら以前に私の、私の人生に対する当事者意識のなさをどげんかせんといかんのです。