ミルクティーにはまった

大学に入った、はあ〜まてまてタンマ、ブログ書きたい!て思って開いても文章にするのがめんどくさくなってやめたいって思うの馬鹿だな。もうちょいタンマしていい?ダメだよねえ、私18年間ちょっとタンマのずるずる人生だな。ちょっとまって、をブログに使いたくなかったから、タンマしてみた。

 

自分は、最初ガツガツしなくても自然と友達はできるから無理したくないと思うタイプで、友達作りという到底普通の行為を"無理"してるなんて思っちゃう自意識過剰なタイプだから、全く友達が増えない。大学 ぼっちで検索してしまって恥ずかしい。ぼっちではないのだけれど、ふわっとした知り合いしかできない。大学って本当に放任主義というか、入学したてって高校四年生扱いというかせめてもの情みたいなものがあるけれどそれでもほっとかれてる!って感じるのだからかなり自由だなと。

友達はいずれできるだろうからいいけれど、この有り余る時間をどう使えばいいのかちゃんと考えなきゃ。推薦で大学に受かってから高校卒業まで、バイトと教習所しかない、いやそれすらもないプレ大学生期間があった。なにも、なにもしなかった。携帯をいじって寝て罪悪感に駆られつつ携帯をいじって寝た。それでいて後悔していないから今度こそちゃんと考えないと私は大学生活をてきと〜に終わらせてそれに関してもなにも感じないてきと〜大人になっちゃう。

 

みんなは、やりたいことってありますか?誰も読んでないのにね。私にははっきりとした夢がない。夢を作るにも努力は必要だと思う。いや、どちらかといえば夢の増大と持続にかな?自分の思いに依存できないし頼れないし、馬鹿でかい感情の振れ幅がないから、主人公になれないから、人生全うできないな。マイナス方面への振れ幅は大きくはないけど横に広いかも。自分の考え、感情を信じるには勉強をしないといけない。

 

 

 

読書が素晴らしいこととされるのが、理解はできるけれど自分の体感にはない、でもしようと思う。その体感自体読書不足バレバレか。さっき読んだ本が良かった。何かに夢中になっていないことを否定しなくても良いんだって。なんとなくのモヤモヤも必要だって。大人からのエール?それとも本当に感じているのかな。読書にはまらないのに出版に携わりたいと思ったままなのはおかしい。

 

高3からnoteをやっていて、そっちの文章のほうが面白くてすごく悲しくなった。サブカルチックなインターネットのある界隈にハマっていた頃に書いたから、感情も文体も文学的に寄せてはいたけれど、見え見えだけど、それでも面白い。やっぱり、ダメな生活であってもなにか考えていたからそのときのわたしには価値があったな。今なにも考えていないでこうやって脳みそダダダだヨダレみたいに流している私の文章はとてもつまらない。自分の頭にあることを掘り下げて考えてそれをひたすら書いていたノートがあって、今は開かない。泣くなよ逃げんなよ。明日は大学の図書館に行く。本当は創作がしたい。でも個性がないから、だけどそれは勉強してない言い訳だから、たくさん読むんだ。

 

今気づいたわ、西友のカレー食べたからブログ書こうって思ったのか!なんて短絡的な思考!