うちらはtumblrみたいな日記をはてなブログに書いていて、そこが一層可愛いしイカすよね。コンビニにも愛はあり、子供部屋にも都会はあるということですので。フォーマットを超えていくのが己のセンス。でもtumblrやってみたい😭
写ルンですを現像した。街で踏まれて死んだ草花撮りがち。
今日はやるべきことがあるんだけど、ずっと無視してダラダラしてた。昨日の彼氏の、性欲アピールの一環としての「子供作ろ〜笑」という冗談が妙に引っかかってしまって、午前中はずっと子供が欲しいと思えないことについて調べていた。知恵袋とかみていて、我々の感情は欲しい派に本当の意味では全く理解されていないんだなと思ったし、欲しいと思えない人の意見はほとんど共鳴した。子供が欲しくない男性っているのかなあ。でも今日、養子や猫はいいかもしれないと初めて思った。子供欲しくないけどやっぱり、世間の目が気になってしまう。かといって、今日妊娠した自分を想像したら、それでもなお子供が欲しくないままで、産みたくないのにって辛そうで、苦しくなった。
赤裸々に書きたい悩み(性的なこと)があるが、その記事だけ鍵かけるみたいなことができないので書けない。ぼやっと書くと、自分はやっぱりバイセクシュアルに近いよな〜という悩み。彼氏がいるほどその事実がくっきりとしてきちゃうなあ。男性好きだからいいんだけどさ。
それと、自分は(ピルの作用もあり)身体的な性欲が薄れてきたけど、「女」としての性欲は強くて、それを自ら目の当たりにせざるを得ない状況がソワソワするね。例えば、相手(男性)がなんとかしてくれるだろうという考えが根本にあること、不安症なこと、泣く・拗ねる等で機嫌を取らせたがること、幼児退行とまではいかないが子供っぽくわがままになること、とか。要するに姫。そういう「女」が嫌で、おそらくミソジニーな部分が人より強いのに、結局自分も「女」だったんだ、「女」やりたかったんだっていう失望がある。
でもこの問題はちょっとむずくて、社会からそれを求められているような感覚もある。素直で感情表現が豊かって書き換えたら、THE・彼女でしょう。「女」をやりにいきつつ、できちゃうし楽しい、が本当かな。
結構、奢られるのが嫌で後からでもお金払ったり、男性から見下されることに異常に敏感だったりと、外側だけでも対等になりたがる(男に勝ちたがる)タイプなんだ私。でも、「女」なんだわ。吐き気がするね。よりミソジニーになりそう。フェミニストなミソジニスト、実は多いと思う。