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芸能人が誕生日などの節目のコメントで「いつも支えてくれる、友人、両親、スタッフの皆様、ありがとうございます」的な文章を書いていると、恋人のことは書かないんじゃんっていうのでなんかしらける。そうせざるを得ないのはわかるんだけど、こいつらって本当の言葉発さないのだなあと思う。じゃあ羅列するなそもそも、みたいな。そのくせ一丁前に結婚を報告させていただくよね。結婚はOKなのもよくわからない。なにも発信するなーーー!!!

 

頂き女子りりちゃん、気になってしまう。獄中日記見てる。昨日はYouTubeを少し見た。喋り方はあのちゃんみたいなんだけど、そのあと水曜日のダウンタウンで本物のあのちゃんを見て、あのちゃんがいかにまともかがわかった。まともという表現はよくないな、いかに世間に適応できているか、かなあ。りりちゃん、いわれているほどに突き抜けた才能があるとは感じないんだけど、ミスiD好きだった頃の気持ちがくすぐられてしまう文章。

水原一平とかもなんだけど、金系の犯罪者を面白いと感じてしまうのは何故だろう。人殺してないのとあまり実害がなさそうなのとかなあ。あと異常性が共感できそうでできないきわきわのラインだから、とか?でも、お金盗まれた側の家族とかを思うとたまったもんじゃないよなあ、とふと気づくね。生活できないもんなあ。多分割と多くの女性は、ちょいりりちゃん憧れあるよなあ。やってること現代のファムファタル(女の憧れ)ながら、ビジュアルや「おぢ」「頂き」などの要素で少し程度が低く見えるから、夢見れるんだと思う。だめだめっちゃりりちゃん気になってる自分。

YouTubeのコメント欄に、「こんなのにハマる男レベル低すぎるだろ」とか「懲役おめでとうございまーす!」とか、おそらく男性っぽいコメントが超来ていて(でもりりちゃんが気になって動画見て、何も言わずにはいられなくなっちゃってるやんお前も!とは思う)、SNSでもやたら、言い方めっちゃ嫌味なんだけど"刺激されちゃっている"男性がいて、どんなに悪口言っていてもなにか裏の強烈な感情が見えるんだけど、それが何なのか気になる。女性嫌悪なのだろうか。そんな単純じゃないのかな。色んな人の「りりちゃん観」聞きたい。

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昨日今日、熱海へ。目的は積読消化なんだけど、スマホ禁止もやってみた。紙に乗換案内とホテルの地図書いて持って行った。

まず、新宿で小田急線乗り場を探すのにめっちゃ迷った。スマホなしの弊害早いよ。電車はずっと読書。2年前?の18きっぷの時にも読んでいた武田百合子富士日記』、の下巻。『富士日記』は電車だけで読むと決めているのだ(今日気持ち武田百合子の文体に影響受けている)。熱海直前で隣の席のおばあさまが「もう赤飯二度と食べることない、いいことがないから」みたいなことを言っていた。

みたらし団子を食べ歩きしながらホテルに着き、一瞬だけスマホ起動。起動するんかい。お母さんにオーシャンビューの写真を送ってオフ。

手ぶらで海に行くのは楽しかった。ただ、たしか映画『めがね』で市川実日子がたそがれた感じで海見て、すぐ飽きたつって立ち去るシーンがあったんだけど、マジでそれで、海、すぐ飽きる。飽きないときもあるんだけど。天気悪かったからだと思うわ。

マジで誰が行くねんと思っていたあの海沿いのジョナサンで夕食。イタリアフェアのやつ食べた。本当に旅行の食事に興味がない。興味がないというよりめんどくさいんだと思う。友達と旅行のときは毎食ちゃんと調べて、予約して、ってやる(やらせる)けど、自分ひとりだったらマジでなんでもいいというかこちらがそもそもデフォルト。お腹が空いたときにすぐ食べれることのほうが大事。てかなんなら観光地行くのもめんどくさい。めちゃめちゃ興味があるものでない限り、行かなくていい。旅行、ずっとホテルでいい。家と同じことを遠くでしたいだけ。だから今回はそうした。

珍しくお酒を買ってホテルに戻る。クソ雨。すぐ大浴場に行ったが、狭めなのに私と、50代くらいの友人同士2人の3人しかいなくて、あがるタイミングとか髪乾かすタイミングとか被りまくって本当に気まずかった。2人はずっと喋ってるんだけどその真横にずっと無言の私いる。

それが多分18時前くらいで、そこから町屋良平『生きる演技』を読む。めっちゃ分厚い。無音嫌でテレビつけたらやってたドキュメント72時間の大阪のスーパー玉出回、めっちゃ良かった。良くて、本置いてしっかり見てしまった。働く高齢者ばかりでてくる。皆、年金だけじゃ生活できない、と言っていた。24時間営業で、夜中の3時代に老人がよくくる。

それからずっと『生きる演技』読み続けて24時過ぎに。まって6時間も読んでいたのか。これが本当に、久々に小説で世界変わる感覚を覚えたほどの傑作。すごい映画を観たあとみたいに、余韻でいっぱいになり、しばらく寝れなかった。朝も、なんなら今まで引きずっているし、人物たちが私の中に生きている。ああ全然感想文に感情乗ってないが、本当に、引力というか磁場というか畏れというか、凄まじい小説だった。ステマみたいなほどの高評判をツイッターで見て買っていたのだが、ステマみたいなことしか言えないほどすごい作品だった実際に。読んでほしい。奇跡が何回も起こる。ずっとピーク。濱口竜介に映画化してほしい。すごい濱竜っぽかった、だから好きなのかも。映画監督でいうなら、濱竜と石井裕也のいいとこどりみたいな。単行本で400ページ弱、しかも改行が少なくて文体も複雑なので最初乗れないんだけど、100ページくらいからもうやめられなくなる。あと最後に熱海がでてきて、ゾッとした。なんかそう、怖かったんだよホラーじゃないんだけど。熱狂の素晴らしさと危うさみたいなものが交互に波になっている。自転車の描写と暴力の描写がうまい。あらすじを書きたいんだけど、公式のあらすじが全然踏み込んでいないのでどこまでがネタバレなのかよくわからない。そこでそれを言ったら終わりだ、どうなるの…相手はどう反応するの…というリアルなヒヤヒヤが連続し、そこですごく意外な反応が来たりするから、読みたくなる。おすすめです。あーあなにも言ってないのと同じ感想を書いたが、小説に負けたんですよ私は。

 

今日は朝ごはん食べたあと、お土産だけ買ってなんの情緒もなくすぐ電車乗った。10時代に。なんなんだよ自分本当に。熱海楽しめよ少しは。一駅隣の湯河原で降りて名物回転寿司を食べようということだけは昨日決めていたのに、それすらだるくなり普通に新宿まで戻った。スマホ解禁。普通にショッピングし普通にシズラー、普通にリサイクルショップ。『富士日記』ついに読み終えた。約450ページ✖️3巻を電車で。さすがに感慨深い。『富士日記』大好き。全然関係ないんだけど、大学1年生のときの大学3年生ってマジでなんであんなにイキっていたのだろうというのをめっちゃ定期的に思う。私の体感もだし、概念としても。大学3年生マジで嫌い。

 

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スマホ起動即撮影の熱海。

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↑よきよき。

 

 

『生きる演技』、好きだった部分かつネタバレにならない部分引用するね。

ごめんこれ書きながら思ったが、いわゆる「ネタバレ」ではないけど、気持ちとしての文脈の中ではハイライトなので、読む予定のある方は読まないほうがいいです。前後の文あってのこれが面白いんだわ、小説だから当たり前。すべてネタバレでした。

 

 

ーネタバレ!ー

 

「うん。なんでか知りたい?人間は暴力大好きでしょ。でも、暴力できません。とくに現代では暴力大好きトークもだめです。暴力の言語化ダメです。でもほんとは俺たち、暴力の言語化が好きなだけなんです。暴力そのものというより、暴力っぽいことが好きなんです! 格闘技や喧嘩より、プロレスとかヤンキーとかのほうが全然好きなの。暴力の演出が好き。演技が好き。フィクションが好き。現実に耐えらんないのよ。だから格闘技って国技にするかプロレス文化ヤンキー文化に寄せないとショーにならないのね。そうしないとなんだかよくわからなくて見方がわかんないのよ。それなのに暴力っぽいものはもうとにかく好き。好きすぎる!」

だめだやっぱやめよう。全然2倍くらい続きあるし超途中だけどここでやめよう。オーラが消えてしまう。やっぱ読んでください。文脈の小説だこれは。『生きる演技』、超、超よかったです。

 

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たしかに、私は男性性の小説好きだなあ。男性作家でかろうじて好きな人はテーマが男性性な気がする。遠野遥など。芥川賞を男性がとるには男性性を描く必要のある時代なんだろうか。『みどりいせき』、気になりつつもどうしても大麻臭に拒否反応がでてしまい、読む気になれない。大麻というか、大麻、タトゥー、たばこ、ヒッピー、マッチョ、POPEYE、などという同心円の連なりのすべてがダサく、NGのため。ラッパーじゃない、サブカル音楽オタクみたいな人たち(同心円の中でも外側寄りの人たち)の、昨今の、大麻、タトゥー、たばこの感じね。それが無理。それが無理だからTwitterのおしゃれ左翼がすげえ苦手だ。おしゃれ左翼はタトゥーを入れるから。ダサいのに。なんか、誰か作ってほしいわ『花束みたいな恋をした』のこれ版。知的サブカル系ヒッピー版。夏はアメリカンスリーブのタンクトップを着るだろうね。細パーマで。女性を想起しているが男性も。

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電車でTikTokの「ヘイブーギウギバンバン🎶レッツゴーバーリバーリブンブン🎶」の音漏れをしている人を見て、なんか急にTikTokのすべてが改めて恥ずかしくなってアプリ(会社用の携帯だけに入れていた、それもキモい)を削除した。

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私のところは父方も母方もおじいちゃんおばあちゃんが長生きで、たしか今、どちらも83と80。がんの家系でもない。母方のおばあちゃんはまだスナックで働いている。

ここ1ヶ月で急に母方のおじいちゃん、じじと呼んでいるからじじと書くね。の、体調が極めて悪化している。正月会ったときは普通だったし特に耳悪い足悪いとかもなにもない。1ヶ月前、転んで背骨?を骨折し病院に行くと、なんかの(肺気腫とかに名前近い感じだった気がする)腫が見つかり、それはそんなに重傷ではないんだけど、さらに心筋梗塞になり、カテーテル?手術?をして、さらにさらにこないだから肺炎になっている。

なんでこんなに説明下手かというと、お母さんがかなり気を遣っているのか、私に病状細かく話してこないから。あまり言いたがらない。今日肺炎のことと、まあ要するに、結構ヤバいらしいということを教えてもらった。ここから急激に悪化するかもだし、退院するかもだし。酸素マスクをつけているらしい。危篤、ではない。

お母さんが毎週末、おばあちゃんとおば(ばば、りっちゃん、と呼んでいるのでそう書く)と一緒にお見舞いというか経過報告を受けに行っていて、それに加えて今後のことについて3人で話したりしている。毎週毎週なので、つらいと思う。でもお母さんは私にはあまり話そうとしない。普通に家から出て普通に帰ってくる。たまに今日みたいに2人で夕飯を食べていると淡々と一気に話してくる。

酸素マスクをつけている姿が、かなりショックだったらしい。肺炎でうまく呼吸しにくいからというだけだけど、ビジュアルとして衝撃的なのは想像つく。1月会ったばかりなのに、急に来るんだなあって。とここらへんも淡々と話してくる。私のこの文章の温度はお母さんの淡々さに通じている。私は泣きそうだったが、私が泣くのはなさすぎると思って必死にどうでもいいディティールを質問して冷静さを胸に刻み込んだ。いつか来るものだから、どうしようもないこと、飲み込むしかない、という内容を何度かお母さんは言っていた。ヤブ医者なのかも(笑)とも言っていた。りっちゃんやばばのことを心配していた。なにか声をかけたかったが、お母さんを泣かせたくないという気持ちで、「ママも大変だね」と、つとめて冷静に、客観視した事実だよ、というていで言った。名古屋で暮らす弟には、入院していることしか伝えていないらしい。

めっちゃ、大変だよなあ。「ママはうちもあるし、習い事のお友達もいるから(大丈夫)」と言っていて、習い事のお友達、私のお母さんをありがとうと思った。

あー多分、じじが死ぬときより今たくさん言葉が出てくる。死それ自体より、お母さんの苦しみ、じわじわと迫る死に直面しているじじ、の心境を思うことがつらい。酸素マスクをしていると会話がしにくくて、こちらも聞き取りにくいしと、嫌な雰囲気になるらしい。それで、私たち孫にはお見舞いに来てほしくないらしいと。3月末まではコロナのあれで面会禁止だったんだけど、4月から行けるようになったのね、でも嫌だと。兄弟にも来てほしくないらしい。でもそうはいっても、今行かないと本当にギリギリに行っても意味ないのでは、的なことを言ったが、病院の先生にそれを相談したら、本人が嫌だと思うことをするのは今の体調には悪手すぎる、と言われたそうで。でも、と思うけど、酸素マスク姿を見られたくない、と思うじじの気持ちが痛いほどわかる。でも、でもと思う。お母さんには、ショッキングだから見ないほうがいいかもね、と言われた。今週も行くらしいので、手紙と、自分の写真(動画のほうがいいかな?)と、なにか植物でも託そうかな。

はあ。ここ1ヶ月くらい、週末、お母さんがいなくなるたびに、お母さんが車とか夕飯とかそういう場面でちょくちょくじじの詳細を伝えてくるたびに、その瞬間だけピントがそこにあって、でブログにも書こうかなと思ってたんだけどなんか書けんくて。仕事もあるしね。でピントがずれて、というのを繰り返していたが、今日はブログに書いてみた。話をしながら、テレビには川口春奈がうつっていて、若さ、健康さだ、と思った。「長生きしたいなあ」「長生きしたほうが絶対楽しいからね」と、なぜか自分の意思表明(あの場で言うこととしては間違っていたかも)をして、2階にあがって少し泣けてくる。無言で泣く。昨日、パートナーをなくした女の子の喪失と再生の物語みたいな映画を観たのね映画館で。でも、現実の助けにならない。今日、『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』というちくまプリマーの新刊を買ったのね、取り出してみたけど、ちがうかもと思った。死に対して物語は、私の死(=人生)に対しては勝てるかもしれないけど、誰かの圧倒的な死に対しては何の役にも立たない。そう感じた。

あー家族が結婚のうえに成り立ってるの怠い。