1228

帰宅してお風呂に入ったらすごく綺麗になっていた。父が母が大掃除したのだろう。私の生活は私以外のおかげで回っている。

今日はすごく楽しかった。大学の友達2人と忘年会。私と性格がそっくりな男友達がいて、その人と私は「左翼に見せかけて中身は保守的」という話をした。もうひとりの友達に「たしかに2人は話していて左翼っぽさ(政治思想)を感じない」とおそらくあまり良くない意味で言われて面白かった。人に嫌われるのが傷つくのが怖いから、善良であろうと無理をしている。人を見下している。バランスをとりたがる。白馬に乗った王子様が壁を壊してくれるのを待っている。言い訳がないと行動できない。かといって、言い訳を見て見ぬ振りできるほど大衆でもない。というような話を、格安居酒屋でした。

そのあと、友達の家に行き(広くて、いい家で、一人暮らしがしたくなった)、そこにいた友達の彼女と4人で話す。文化に目覚めた原体験について。カートゥーンネットワーク。クラスで初めてハリーポッター全巻読破。終わりの会で面白かった学級文庫を紹介する仕組み。私は、青い鳥文庫。あと、小学校で読書記録のプリントがあって、教室の廊下側の壁にクラス全員分のクリアファイルが貼ってあり、そこにどんどん溜めていくシステムで、私はたくさん本を読んでいて、誰よりもそのファイルが分厚くなっていたのが楽しかった。あとの会話は覚えていない。恋愛に求めるもの(同質性か他者か)とか。私は架空の話をするのが好きだといい意味で言われた。たしかに。

私は友人も恋人も、自分と趣味や話や性格が合わない人ばかり選んでいて、というか自分でもなぜかよくわからないけれどそういう人を選ぶのが好きで。でもこの大学の友達だけ、唯一文化の話や概念の話ができるので、うれしい。普通にそういう人で周りを固めればもっと楽しいはずなのに、なぜか避けちゃう。コミュニティを増やし続けること、大切。

気分が良くて、電車でもずっと読書をして、帰り道で茨木のり子の詩集を買って、歩きながら読んだ。詩集の言葉はそこまでハマらなかったけど、気分が良かった。会話、言葉、楽しい。本がないと生きていけないと思えるけれど、本か映画のどちらか片方しか味わえない人生なら映画を選ぶくらいに私は視覚芸術が大好き。