ちゃんとしたい

弾性のあるゲロ

128〈pmsがきつい日〉

弛んだ生活リズム(時間配分)だったり、生きていく上での些細な選択で甘える・逃げるを選ぶ傾向だったりが、さすがに自我が芽生えてからの7、8年分くらい蓄積されると自分の卑しさとしてゆらぎなき輪郭と権力を持ち始めてしまう。

1日や数ヶ月で変えられるものではないし、それを言い訳にして1日たりとも変えたことないのもまた卑しい。

 

きちんとした生活という幻想を抱いているから、周りの大人を見ていて、数十年きちんとした人生積み重ねてこれかよ、この密度と視野かよと思うことが大半なんだけど、自分ももうほぼ大人で、もし30歳まで生きても「大人でこれ」な自分から変われなかったら自殺してしまう気がする。否、これも卑しい嘘で、生への甘えがあるから死なない。一個一個ねじれた解釈で言い訳して生き延びる。

自分の社会的な好ましい面に対して、自分の自分だけに向く意識が常に裏切り続けているような罪悪感がある。「こんなもんかよ」と「違う、私はこんなはずじゃない」のループに折り合いをつけるべく、週5労働を年単位で積み重ねないといけないと思うし、そうでないと人間になれないと思っている。私は働きたい。社会に必要とされたい。

 

今月は鬱っぽい時期が多くて、今日もひどい。コンタクトや眼鏡をせず、外出した。駅の奥にある、弱者のためのエレベーターを躊躇いつつえいやと使った。普段は自分ルール(架空の社会の目)のせいで使えない、本当は公共のエレベーターだからいつでも理由なく使っていいのに。みんなが階段を選んで登るから私も登る。立派に、社会から脱落しないよう生きている証拠でもあるんだけど、やっぱりそんなものに価値を感じられない。でも、根が保守的な極ビビりだから革命どころか革命の3次的なアクションとかですらしない。できない。やりたくない。

 

今シーンとした電車で、2つ左の40代くらいのパーカーおじさんが、ぬるっと入って座ったおじさんに、わざわざマスクを外して顔を近づけて「失礼しますくらい言えばいいだろボケ」「いい歳して恥ずかしいなお前」と言い、マスクを戻して赤いスマホをいじり出した。言われたおじさん無視。周りも私もピリついたけど無視っぽいふるまい。言ったおじさんも無視。おじさん、相手(や周囲の乗客)が自分より弱そうで無視しそうっていう確信を持って言ったんだろうな。私も、舐められてんだな。愛されたいし疲れているのだろう。今ここにいる全員(特に言ったおじさん)、電車乗らないで車使ったほうがいいし、死んだほうがいいよ。