112〈Twitterをやめた・電車用の選書・黒丸〉

もう数ヶ月ずっと悩んでいたので、思い切ってTwitterをやめてみた。ただし、とりあえず1ヶ月間だけ。

アカウント削除をした、1ヶ月後に復元。ログアウトやアンストールじゃダメなのか、ダメなんです。なぜならそれらは何十回も試しているから。既にブラウザでの閲覧や他のクライアントアプリまで辿り着いていた。フォロー1桁まで辿り着いていた。でも依存はやめられない。自分がTwitterの中で依存していたのは主に検索機能だったので、これらの策はあまり効かなかった。トレンド思ったこと見たコンテンツの感想買ったコスメのレポ高校時代の同級生の裏アカセンスのいい人のいいね欄普段は斜に構えたツイートをする人の自意識が滲み出たキモいツイートなどを調べに調べて何万時間も費やしてきた。本当に楽しいんだもん。それで得たことは表層的には大量にあるけど、今まで残るものはほとんどない。センスがあるように見せるのが上手い知らない人のいやらしさを知ったくらい。

アウトプットに関する不安はない。はてなブログがあるし、元々ツイート自体そんなにしていなかったし。しかし、正直一日中Twitterを見る生活×365日だったので、社会と繋がっている感覚やたくさんの人が日々暮らしている実感を一挙に失うのがとても怖い。24時〜2時あたりをどう乗り越えよう。寝るか。今まで何度かTwitterを減らす実験を行い、その分他のアプリを見る時間が増えるだけという結果に毎回なっていた。その対策もしなきゃいけないね。アナログに時間を割きたい。Twitter無しで生活していた中3までの自分に戻りたい。

今回これでうまく行ったら、月に1日だけアカウントを復元してTwitterをやるルーティンへと自分を誘導したい。きっとゼロには戻せないから、うまく折り合いをつけて趣味にしたい。今日は早速、携帯を開いては見るものがないので閉じる、の繰り返しだった。

 

 

 

誰も見ていないのに、恥ずかしくて村上春樹の小説を電車で読めない。家でブックカバーを探したくらい。本当にこういう些細な自意識ルールが人生の4分の1くらいを砕いている気がする。いつも言っている架空の敵ってやつ。夕飯を食べた後に家から出た経験が多分ない。そういうルールがある気がして。これは、親の暗黙の了解や性差なども含まれていて、前者とは少しちがうけどね。夜に散歩してみたいな。でも戦うために、今日は図書館で恥ずかしげもなくひらがな羅列のタイピングソフトを開きタイピングの練習をした。感情のレパートリーを積み重ねてタフになるぞ。

 

ちなみにサブタイトル3個を黒丸で繋ぐ制度は美術館の展覧会と村上春樹の影響。