ちゃんとしたい

弾性のあるゲロ

回転寿司で揚げ物とスイーツを必ず頼んでいます

 

 ものすごく久しぶりにブログを書く。さっき2時間強の1人語り配信を見て、私もこんな風に今のモヤモヤした脳みそをば〜っと放出したいな〜と思った、けれども話すのが苦手だから文章にする。でも話すのって経験の積み重ねに由来する技術だからね、普通に努力不足なだけ。

 

 好きな教授(好きだから興味ない演習も履修して授業頑張ってたのに全部Bつけられたから相性はゴミ)のインタビュー記事で、あの〜私ってインタビュー記事が大好きなんですね?大好きなんです。カメラ向けられて演者が話すTVとは違って、まあインタビューも語り手に対してカメラは向けられているし編集や構成など作為的な部分はかなりあるが、なんていうんだろう、わざとらしさを隠そうとする姿勢そのものが自然に隠されているの、そしてそれ故にむしろ精巧なフィクションらしさが増す!

 語り手の名言ぽいやつ、TV(というか音声)だとフィクションすぎて逆張りで受け取ってしまうというか、あ…これこんなキレイな物語っぽく見えるけど生身の欠点混じりの普通の人間がそれっぽく綺麗事を言っているのか…あなたは対わたしではなく対いかちいセットと大量のカメラと照明でその声を発してるのか…と思ってしまう。TVは全要素を通じてこれはフィクションです娯楽ですって呼びかけているから、フィクションの中のマジ語り(これもこれでかなり大好きですが)=フィクションに結局還元されてしまうんだよね、語りだけじゃなくてわざとらしさを隠そうとする製作者たちのマジ姿勢すらもフィクションに吸収されているように感じる、メディアとしてのTVの力が強すぎて…。

 なんか突然思い出したんだけどさ、マルモのオキテでいい場面(愛菜ちゃんが阿部サダにいいこと言うとき)になるとて〜れーれ〜れれれー😢てれ〜れーれれれれれ〜😢れーれれ😢れ〜れれ😢てれれ〜れーれーれーれれれ😢みたいな曲流れてたじゃん(伝わるわけがないよ)、テレビでマジが始まると脳内がそれになってしまうんだよね。

 でも文字だとわざとらしくてもいけるよね〜ザ・山場!ここマジ語り!みたいなところ全然恥ずかしくないもん。だって文字はみんなだし。インタビュー記事は大抵そのまま感を出しつつ山場や魅せたい部分がかなり作られているので、難しそうに見えてTVよりも簡単に構造が読み解けるよね。

 何?この文。私、TVはあくまでフィクション(←強すぎる)内で必死にもがいている人間の現実(←フィクションパワーに飲み込まれてフィクション化している)から本当の現実を見つける遊び、インタビュー記事は限りなく現実っぽく作られたフィクションを「これはフィクションです!」と指摘し、物語として自分の中に取り込む遊びとして愛好しています。

 

 でね、でねじゃあないんだよ、好きな教授ともう1人の教授とのインタビュー記事でさ、かなり良いので引用しますが、

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これ読んであ〜ーーーーー自分ですって1年前になってスクショしてお気に入りにして印刷して手帳に貼っているわけですが、結局話さないと、身体を動かさないと脳味噌だって何も変わらないわけで、こんなのは脳内再生産であってアウトプットではないわけでして、

 

  「身体に経験を蓄積するのです。」

  「結局、表現は技術なので、やればやるほど上達していくし、やらなければ何も変わらないんですね。」

 

うわーん2段目から1文字空かないんだが!Wordみたいに引用できへん。できへん!( i _ i )これ↑さ言っていることめちゃめちゃ普遍的なのに頭にこびりついて離れないんだよな。私が教授(ちな引用した発言者ではない方)を好きになったのもそもそも話し方、言葉選び、間から滲み出る知性や人柄や指針に憧れたのがきっかけで、でもそれってやっぱり身体をうまく使えているからこそこちらに伝わったものだし、てか誰も見てないんだからさっさと自己主張をしてくれ自分よ。

 

 

 『旅人』っていうめっちゃ話し下手な旅人のコント(ロングコートダディのやつ)を見たときにこのインタビュー記事を思い出したのよ。

 

https://m.youtube.com/watch?v=FAOsnr7uN4E

 

話し下手の模倣が上手すぎて、あ、話し下手ってこんなに体系化できるの!?(同じワードを繰り返すなどの特段わかりやすい要素ではなく、一個一個の言葉選びや間の緻密な積み重ねによってなんとな〜く話し下手だなというふわっとした印象が作り出されていまして。話すときの動き方までもが話すの下手っぽいのよ、もう全身ですごい)という驚きと、猛烈にアウトプット繰り返して語りという主体的なものを客観視できるようになったからこそこの模倣ができるんだな〜というコントに透けている量的な努力とでもうバカ笑いした、笑うしかないので。フィクションの中の現実ってこういうことよな〜。てかやっぱ努力で日常表現って獲得できるんだな、悔しい!くそ〜芸人ってアウトプットと客観視・相対化の才能があって羨ましい!たとえ努力であったとしても!

 

 本題入る前の導入部から話発展して2000字書いてて笑うよ、何書きたかったか忘れてしまった。自分は身体とかフィクションとか現実とかを軸に日常を捉えているはずなのに、どうもうまくいかないな〜となるが、捉えるだけでうまくいくはずないだろうが、散歩して人と会って話聞いてください。

 最近人のどうでもいい日常話とか架空の話とか聞きたい。人の話聞くとき、私の中では「どうでもよさから本質っぽいもの見つける」っていうTV的視点が動いて楽しいので…。クソ迷惑。てかみんな全然架空の(人物や物語や解釈の)話好まないよね、私架空の話がしたいのに…本質めいた格言みたいの言い合いたいから私はあんたとご飯行くのに…。

 

 フィクションに滲み出るグロさこそが至高だなっていつも思う。そこにしか現実はないでしょって思う。普通にいいこと言ってる風でただ現実逃避するための屁理屈なんですけどね。でもその思想だけで人生の進路すべて決めているから面白いよね。